時對協 物故者
時對協物故者一覽表 [順序不同=] 文責・平澤次郎
氏名 | 團體名(役職) | 略歴 |
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福田素顕 ふくだ そけん (狂二・草民) きやうじ・さうみん | 皇道日報社 社主 防共新聞社 社主 時對協 代表 | 明治二十年生。島根出身。早稲田大學中退。社會主義運動を經て平沼騏一朗に師事、皇道日報社主、戰後防共新聞社創設。昭和三十五年、時對協を結成。昭和四十六年沒。 |
長谷幸祐 はせ かういう (幸輔) かうすけ | 皇道日報 編集長 言論同志会 会長 時對協初代事務局長 | 明治三十六年生。埼玉出身。早稻田大卒。昭和十七年、皇道日報編輯長。昭和二十一年、言論自由聯盟結成。日本愛国党参与。時對協結成に參畫、初代事務局長。昭和五十七年沒 |
福井熊太 ふくゐ ゆうた | 日本正統会 会長 時對協 理事会計 | 戰前、大日本錦旗會行動隊長。昭和四十一年、宮田祐信と正統會を結成。東京都港區赤坂1の8の5.時對協の事務局は、日本正統會の赤坂事務所を間借りする。昭和五十年沒。 |
宮田祐信 みやた ひろのぶ | 日本正統会 副会長 時對協茨城聯合代表 時對協理事 | 茨城出身。「時對協茨城聯合」を設立代表。水戸を中心に活動。昭和五十二年死去により、時對協茨城聯合は時對協に合流。石津浩舟らが時對協事務局の事務所番をつとめる。 |
本多葵堂 ほんだ きだう (素顕翁より九歳年上) | 昭和八年設立の「大 日本錦旗会」会長 時對協、初代議長 | 福田素顯翁と懇意で時對協の創設に參畫。家柄は徳川四天王の本多家(子爵)。澁谷に宏大な屋敷があつて、戰後、多くの右翼浪人の面倒を見た豪傑(柿本談)。沒年不詳 |
小島末喜 こじま すゑき | 天孫日の宮再建同志会 会長 時對協、會員 | 福岡出身、海兵卒、海軍大尉。比島コレヒドールで水上特攻隊長として多くの部下を死なせた。戰後は古神道傾倒。詳しくはインターネット參照。平成六年沒。 |
井田安太郎 ゐだ やすたらう | 言論同志会 時對協 二代目事務 局長 | 明治二十八年生。群馬出身。警視廳特高に奉職。戰前、右翼壯士を取り締まる。戰後、長谷幸祐と言論同志會設立。二代目事務局長。「時對協十年史」を編輯。昭和五十一年沒。 |
浅沼美知雄 あさぬま みちを | 防共新聞社 主幹 時對協 二代目代表 皇民評論 主宰 | 大正四年生。東京出身。日大中退、讀賣新聞記者。社会党杉並區議から福田門下となり轉向。愛國黨參與、防共挺身隊顧問。素顯翁沒後、時對協代表。平成十三年沒。 |
高津大太郎 たかつ だいたらう (皓州) かうしう | 治安確立同志会 会長 時對協 理事 | 大分出身。明治四十年生。戰前無産運動に從事、戰後共産党に入党して勞働運動。三池鬪爭で第二組合を結成して轉向。その後、治安確立同志會を結成。昭和五十七年沒。 |
福田狂介 ふくだ きやうすけ | 防共新聞社 社主 時對協 副代表 | 昭和七年生。東京出身。法政大卒、素顯翁の次男。防共挺身隊・福田進の弟。防共挺身隊參與。素顯翁沒後、防共新聞社社主。「水脈會」頭領の顏もあり。平成二十一年沒。 |
古賀一朗 こが いちらう | 治安確立同志会 (元日本反共連盟) | 昭和二十三年、佐賀市公會堂で公演中の徳田球一日本共産党書記長めがけて手製のダイナマイト爆彈を投げつけ、障碍を負はせた。岐阜刑務所後、横濱に在住。沒年不詳。 |
目黒靖淳 めぐろ やすあつ | 日本正統会埼玉縣支部聯合會長 時對協 會員 | 福井熊太の盟友。福井没後、体調をくずし、昭和五十二年ごろ没。 |
勝部敏雄 かつべ としを | 日本正統会 言論同志会 | 島根出身。獸醫將校(少佐)。正統會の福井沒後、言論同志會へ實家は名門・勝部家。父は縣議會議長。竹下登首相とは竹馬の友。NHKニュースキャスター・勝部領樹の兄 |
柿本信司 かきもと のぶじ | 大日本錦旗会 日本正統会 学純同参与 時對協 三代目議長 | 福岡出身、中央大法科卒、陸軍主計大尉で終戰。シベリア抑留後、本多葵堂邸で食客。時對協設立時から加入。三代目議長、その後顧問。平成十五年沒。 |
大田隆之 おほた たかゆき | 日本正統会 言論同志会 学純同参与 時對協 事務局長 | 岡山出身。大正九年生。中央大英法科卒。學徒出陣。終戰時陸軍砲兵小尉。戰後、調達廳通譯官。ここで杉本廣義と知り合ひ、時對協に參加。三代目事務局長。昭和五十三年沒。 |
木村 清 きむら きよし | 日本道義振興会 時對協 二代目議長 | 經歴、沒年不詳 |
石津沽舟 いしづ こしう (融造) ゆうざう | 日本正統会 時對協茨城聯合理事 時對協理事 | 茨城出身。宮田祐信門下。家は舊家。父は村會議員だつたが出征して英靈となつた。水戸人らしく豪傑の風あり。赤坂事務所責任者。昭和六十一年沒。(亭年五十七) |
入野 勲 いりの いさを | 時對協茨城聯合理事 時對協 理事 | 昭和十八年生。茨城出身。建設業經營のかたわら日本正統會、時對協茨城聯合、時對協地方理事。防共新聞のビラを水戸市周邊に貼る。平成八年ごろ沒。 |
伊東満山 いとう まんざん (公明・三治)ひろあき・さんぢ | 大日本社 時對協 理事 | 明治四十三年生。新潟出身。早稲田大中退。昭和八年、大日本国士党結成。戰後、大日本社、皇道漢詩協會會長。 素顯翁の時對協に參加。 |
久柴 正 | 大日本愛国誠志会 時對協 地方理事 (神戸在住) | 昭和七年生。長嵜出身。工業高校卒。みづから土方となり、日の丸勞働組合の結成を目指し、周圍から「土木右翼」と呼ばれる。阪神・淡路大震災で岡山に移住、平成九年ごろ沒。 |
杉本広義 すぎもと くわうぎ | 嶽南義塾 塾長 時對協 四代目議長 | 鹿兒島出身。大東文化大卒。一家で大陸に渡り、戰後は調達廳勤務。小渕澤で開墾、嶽南義塾設立。山口二矢烈士は愛国党離党後、杉本牧場で一時過ごす。平成八年沒。 |
尾郷健作 | 日本心鏡会 会長 時對協 理事 | 福井出身。明治二十四年生。昭和二十九年、日本心鏡会設立。野村秋介氏の河野邸焼き討ち事件では救援活動を展開。川崎市在住。没年不詳。 |
松浦定雄 まつうら さだを | 嶽南義塾 時對協 理事 | 山梨出身。山梨縣下を行商しつつ、時對協に參加。特記するやうな運動暦はないが、酒席のスポンサー的存在で浪人右翼には有難い存在だつた。平成八年ごろ沒。 |
木下幸昭 きのした ゆきあき | 嶽南義塾 時對協 理事 | 山梨出身。林業のかたわら山梨では數少ない獵師。時々、時對協に熊肉を持參。防共新聞遊説隊の有力メンバー。ただし、山に入れば絲の切れた凧。平成二年ごろ沒。 |
村上 諦 むらかみ あきら | 嶽南義塾 時對協 理事 | 山梨出身。松浦定雄の甥。防共新聞の街宣車管理兼運轉手。毎週水曜日と土曜日は都内驛頭で街宣。街宣のない日は「とつかんせんべい」の行商。平成九年ごろ沒。 |
永倉 茂 ながくら しげる | 嶽南義塾 時對協 理事 | 山梨出身。防共新聞の街宣車運轉手として村上と同行。街宣では裏方に徹し、防共新聞の販賣を擔當。沒年不詳。 |
森 喜一 もり きいち | 日本報告協会 時對協 地方理事 | 福岡出身。昭和三十五年結成。時對協に加盟するも、全愛會議にも加盟してゐたことから 音信不通に。 |
吉田八須男 よしだ やすを | 祖国社 時對協 會員 | 石川出身。治安確立同志会事務局長を經て祖国社設立。平澤の記憶に間違へがなければ、ご令室は清瀬市議。昭和五十年ごろから足が遠のく。沒年府不詳。 |
真野景智 まの かげとも (紀政)のりまさ | 東京都防衛協会 時對協 會員 | 東京出身。「景智」と云ふ名は眞陰流柔術戸張派の免許皆傳名。獨身で立憲養正会本部に寢泊りし、退寮して音信不通に。恐ろく腦溢血?で急逝したのでは、と思ふ。 |
藤沢嘉六 ふぢさは かろく | 学純同 時對協 理事 | 大正十年五月二十二日生。福島出身。自稱水戸中學卒。舊陸軍兵卒ながら、大將ヒゲをはやし、軍刀もどきの木刀杖、滑車附きの長靴を履いて歩く樣は、奇異で人目を引いた。昭和六十年ごろ音信不通に。 |
小川浜太郎 をがは はまたらう | 皇道宣揚会(大日本皇道宣揚同志会) 時對協 理事 | 明治四十一年生。東京出身。素顯翁の思想に共鳴し、時對協に加盟。素顯翁沒後、專ら執筆活動に專念し、防共新聞に投稿、連載を續ける。沒年不詳。 |
中堂利夫 なかだう としを | 防共挺身隊 時對協 會員 | 昭和十年生。吉村法俊、山口二矢烈士と愛国党を脱党。防挺・耕雲草社に身を寄せ、時對協に加盟。その後、作家。愛國黨時代、抗議文などを文章擔當した。平成十年沒。 |
小林春人 こばやし はると | 嶽南義塾 時對協 理事 | 山梨出身。小淵澤で建築業のかたわら時對協に參加。在籍五年ほど。杉本牧場近くに居住。平成元年ごろから音信不通。 |
熊谷武二 くまがい たけし 鈴木二郎 すゞき じらう | 大勢新聞社 | 社主・熊谷・主筆・鈴木。昭和二十四年創刊(週間)。昭和五十三年ごろまで、全國愛國者懇親會に顏を出してゐたが音信不通に。機關紙「大勢」は廢刊か? |
飛田光男 とびた みつを | 憂国誠志会 時對協 茨城聯合 | 昭和五十一年、時對協茨城聯合組織局長の飛田が結成。宮田の沒後、音信不通。 |
荻原広士 をぎはら ひろし | 防共新聞社遊説隊 防共挺身隊 | 昭和十八年生。東京出身。防共新聞・淺沼美知雄の運轉手。その後防共挺身隊に所屬、時對協の定例會に顏を出してゐたが、挺身隊の時對協脱會と共に音信不通。 |
田中岩雄 たなか いはを | 防共挺身隊 時對協 監事 | 昭和十一年生。埼玉出身。防共挺身隊副隊長。福田狂介の關係で時對協監事。挺身隊の時對協脱會と共に音信不通。 |
浅田幸寛 あさだ さちひろ | 日本防衛隊 | 初期の時對協に名を連ねるが、自然脱會。詳細不明。 |
林 武一 はやし たけいち | 皇国会 すめらみくにかい 時對協 會員 | 昭和三十五年結成。經歴、沒年等不詳。 |
碓井一雄 うすゐ かずを | 治安確立同志会 時對協 理事 | 福岡出身。高津大太郎沒後、治確同代表。時對協に四年ほど在籍。同團體は子息が神奈川縣大和市で繼承。平成十年ごろ沒。 |
野田和昭 のだ かずあき | 霞志書房(古書扱い) 時對協 會友 | 昭和二十五年生。東京出身。明治學院中退。大東塾生から興論社の「公論」編輯を手傳ひえを經て、右翼・民族派關係古書店(通販)を開設。大東塾との關係があり時對協では會友。 |
大塚宏安 おほつか ひろやす | 調査中 | 調査中 |
渡辺春男 わたなべ はるを | 調査中 | 調査中 |
樋口喜徳 | 明治三十八年九月八日生 | |
貴田誠 たかだ まこと | 日本誠龍社 会長 | 昭和二十七年十月二十五日生。靑森縣上北郡東北町出身。 昭和五十八年四月、靑森縣で日本誠龍社を設立。 昭和六十二年上京。令和二年二月一日歸幽。 |
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